人形供養400年の歴史を持つ長福寿寺│人形供養・ひな人形・五月人形│長福寿寺の歴史

人形供養のご相談はこちら

tel:0475-46-1837

日本一長い勅号(お寺の名前)をもつ寺院
『三途河頭極楽東門蓮華台上阿弥陀坊太平埜山本実成院長福寿寺』

(さんずがとう・ごくらくとうもん・れんげだいじょう・あみだぼう・たいへいやさん・ほんじつじょういん・ちょうふくじゅじ)

桓武天皇勅願寺 長福寿寺

image
人形供養の寺として名高い[長福寿寺]は、およそ1200年の昔、延暦17年(798)に桓武天皇の勅願により、伝教大師最澄〔天台宗の宗祖〕によって創建された由緒ある大古刹です。

中世においては日本三大学問所(談義所=僧侶の大学)として寺院子弟の教育にあたり、西に比叡山、東に三途台(当時は東叡山と称した)ありと称せられ、実に関東天台の要をなしていました。 

また、上総・下総・安房の房総三国(現在の千葉県全域)における大本山としてして末寺308ヶ寺を有し、各寺院を統理していた大古刹です。

大原三千院(京都)、毘沙門堂(京都)の両門主も当山の住職になり、その縁をもって『三途河頭極楽東門蓮華台上阿弥陀坊太平埜山本実成院長福寿寺』という日本一長い勅号を賜っております。 

元亀二年九月、織田信長はその政策に反抗したという廉で、比叡山を焼き討ちしました。

天正年中、比叡山の再興に際し、叡山豪盛僧正は、三途台に援助を求め、当時の住職・第17代学頭豪山僧正は木材を贈進し、その材木によって比叡山「根本中堂」が再建されたのです。

その後、徳川将軍援助のもとに現在の根本中堂が造営され、元の根本中堂の材木によって建てられたのが当山の本堂です。

その縁をもって当山の本堂は「根本中堂」の号をゆるされています。

徳川時代には、将軍より10万石の格式が与えられ、年頭の礼には御城書院独礼席の特別待遇を受けていました。

これは正に桓武天皇の勅願寺として由緒正しきが故です。

このように、当山は歴史的にみても関東屈指の大古刹といえるのです。  

人形供養のご本尊・十一面観世音菩薩は、400年前より篤く信仰を受け、線香の煙が絶えず、毎朝晩と高僧により読経供養されています。

ぜひ一度お参りにいらして下さい。
長福寿寺では、人形供養を始めてすでに400年の実績と信頼があり、かつ、人形供養堂のご本尊・十一面観音様の御前に棚を用意し、綺麗に飾り付けをして、どこよりも真心とお人形様への感謝の念を込めて、最後の供養をさせていただきます。(3ヶ月もの間、僧侶一同で毎日朝晩と心を込めて読経供養をさせていただき、最後の火葬まで僧侶の手によって執り行われます。ご安心ください。)
 感謝の心で供養させていただくことにより、お人形様も喜び、皆さま自身もいっそう楽しく充実した人生を過ごすことができるようになるのです。

※特に悪縁の付いたお人形さまについても、「悪縁」が及ばないように、断ち切れるようにしっかりと供養させていただきます。

長福寿寺  第56世 學頭 今井長秀

桓武天皇勅願寺 長福寿寺の第56世學頭。
1968年、千葉県生まれ。大正大学仏教学研究科修士・博士課程で仏教を学ぶ。
経営コンサルティング会社である日本経営合理化協会で10年間活躍し、経営の神様・牟田學氏より直接指導を受ける。
2015年より第56世學頭に就任。
2011年には「金運アップの吉ゾウくん」を復活させ、参拝者を60倍に増加させる。
現在では25万人を超える大人気寺院となる。
仏教の教えを多くの人に知ってもらうため、「敷居を低く、かつ面白く、わかりやすいところから入って、ありがたいところへ導く」をモットーに活動。
著書に『金運を爆上げする12の習慣』『金運財布の作り方』『金持ちの生活に真似ぶ』『金運爆上げ50の法則』などがある。

© 2018 人形供養400年の歴史 長福寿寺

PAGETOP